ドイツで生活していると、多くの日本とドイツのハーフの子供たちと接する機会があります。
私の場合は、大学時代、ベビーシッターを始め、5年ほど二つの日本人補習校を掛け持ちで働いていたころに、大勢の子どもたちと知り合う機会に恵まれました。
【わー、外国で生まれて、バイリンガルになれるなんて、うらやましい!】
そんな声が聞こえてきそうですが、日本から遠く離れたドイツで、”いつの間にか日本語ができるようになっていた”、なんて魔法は起きません。
それではいったい、どんな子どもたちがバイリンガルになるのでしょうか。
今回は、ドイツ育ちの子どもたちの日本語の習得事情についてご説明します。
日本人学校と日本人補習校があるよ
ドイツで子供が日本語を学ぶ方法として、”日本人学校”と”日本人補習校”の二つがあります。
二つの学校の違い:
日本人学校: 日本と同じように月曜日から金曜日まで毎日通う学校
補習校: 平日は現地のドイツ校やインターナショナルスクールに通っている子供が土曜日だけ通う学校
基本的に、日本人学校に通うのは【両親とも日本人で近い将来日本に戻る予定のある子供たち】で、
補習校に通うのは【両親のどちらかだけ日本人で、ドイツ永住の可能性が高い子供たち】という傾向があります。
ドイツには日本人学校は5校、補習校は14校あります(毎年変更があるので、現在は若干増減があるかもしれません)。
ここでは補習校の生徒の話をしていきます。
【日本人補習校】とは? 日本の楽しい行事も体験できるよ
【日本人補習校】とは、普段は現地校(またはインターナショナルスクール)でドイツ人と同じ授業を受けている日独ハーフの子どもたちが、土曜日に特別に通う学校です。
補習校は日本政府の認可のもと補助金が出ているのでカリキュラムがある程度決まっています。
土曜日一日の授業なのですが、単に日本語を学ぶだけの語学学校ではありません。
日本の教科書を使い、日本と同じ教科書を使い、1年間で1学年分の教科書を終わらせます。
つまり、日本の一週間分のスケジュールを土曜日一日でこなすのです。
日本と同じスケジュールといっても、全部の科目はできないので、基本は国語2時間、これは必須。
あとは、補習校の規模によって変わりますが、4時間授業の場合は、算数が1時間、残りの授業は社会や理科、たまには音楽や体育をしたり。
普段ドイツの現地校に通う子供たちにとって、週に一度の日本語で友達や先生と話す貴重な時間です。
読書会や、発表会、一年に1回全校生徒で集まって(日本人学校の子供たちと合同でやったり)日本の運動会を楽しんだり。
父兄参加のバザーや古本市などで、日本の美味しいごはんやデザート、面白い本や漫画に出会えたり、日本文化を知る楽しい催し物もたくさんあります。
このように、補習校とは、勉強だけではなく、日本語の楽しさや日本文化を知ることができる、本当に貴重な場所なのです。
異国の国で日本語を習う努力と困難
こうやって聞くと、楽しいことばかりのように聞こえます。
でも、実のところ、日常生活で日本語が全く必要のないドイツで、日本語を習得するために、子どもたちは大変な努力をしています。
補習校の子ども達の努力
- 漢字を覚える
日本語の習得とは、漢字の習得といっても過言ではありません。
普段ドイツ語で生活している子ども達が、日本の学校のカリキュラムに沿って、同じ数の漢字を覚えなくてはいけないのです。
特に小3と小4では一年に200個もの漢字を覚えます。
毎週5つは平均して新しい漢字が出てきますし、音読み・訓読みや熟語も含めると、一つの漢字にいくつもの読み方まで覚えなくてはいけません。
普段日本語をまるで使っていない状態で、見たことも聞いたこともない新しい漢字の意味を理解し、書き方や読み方など全部覚えるのです。
しかも学校では、一つ一つの漢字を勉強する時間がないので、基本的に漢字の勉強は家での宿題になります。
先生が毎週新しい漢字の範囲を伝え、学校では毎週漢字テストをします。
前に習った漢字もきちんと覚えておくためには、テストをするだけではもちろん不充分です。
教科書を読んだり、学校だけでなく家でも日本語を使って生活したり、長い休みは日本の学校に行って体験入学するなど、覚えた日本語を使える場所が必要です。
- 毎週たくさんの宿題がある
普通に生活していても日本語に触れる機会がないので、できるだけ日本語で触れる環境を作らないとなかなか日本語が定着しません。
そのため、毎週漢字の宿題の他に、音読や作文など、どうしても国語の宿題がたくさんになってしまいます。
読書月間を設けて、本を読んで感想文を書いてもらうこともあります。
宿題をさぼってしまうと、どんどんたまりますし、日本語に触れないとどんどん忘れていってしまいます。
日本語習得【悪魔の循環】:
日本語使わない
→習ったこと忘れる
→新しいことを覚えるのに時間がかかる
→ますます日本語使わない
→学校で日本語の授業がわからない、漢字テストもできず学校が苦痛になる
→日本語が嫌になる
このような悪循環を避けるためには【こつこつと定期的に続ける】ことが一番です。
普段はドイツ人学校で、授業や宿題やテストがある中、これだけの課題をこなさなくてはいけないのは正直大変だと思います。
親や教師にできるのは、子どもが少しでも日本語勉強を楽しいと思ってもらえるような環境を作ることだけです。
少しでも多くの子ども達が、日本語を楽しめる環境を作るためにも、補習校の存在は大きいなー、と思います。
欠かせない家庭でのサポート
もちろん補習校に行くだけで、日本語ができるようになるわけではありません。
子どもが日本語を習得するためには、学校だけでなく、家族全員による家庭でのサポートをとても大切です。
家でのサポート:
毎週、補習校への送り迎え
補習校での仕事のお手伝い(当番や運動会、古本市、バザーなどの行事の協力)
家で子どもの宿題をみてあげる
家で日本語で話す習慣をつける
このように親が家ですることもたくさんあります。
子どもが何人もいると、その子によって合う勉強法も違ったり、ましてや自分が外で働いている場合など、お子さんが家で日本語を使う機会も少なくなります。
このように、一言にサポートといっても簡単ではありません。
なにより、子ども自身に日本語を学ぶモチベーションがなかったり、ドイツ人の配偶者が日本語教育の必要性を感じてない場合など、親のストレスは相当なものになります。
ドイツで日本語を習得するための課題・問題点
このように、みんなができる限りの協力をしても、ドイツで日本語を母国語として習得することは難しいのです。
補習校での日本語学習には、次のような難しさがあります。
- クラス内のレベルが違いすぎる: 母国語レベルから先生の指示が理解できない子まで
- 先生の期待と負担が大きい: 週一回の授業をする兼業先生
- 子供のモチベーション: どうして自分だけ日本語の勉強をしないといけないのか
- ドイツ人学校の両立が大変: 宿題
問題点
- 一クラスの中の生徒のレベルが違いすぎる
一クラスの人数は10-20人とそれほど多くはないのですが、一人一人の日本語のレベルがとても違うのです。
日本語を自分の母国語にしている子もいれば、普段は全く日本語に触れる機会がない子が、毎週宿題の漢字だけ頑張るのが精いっぱいという子までさまざまです。
加えて、ご家庭によって子どもに望む日本語レベルがかなり違います。
日本に戻って日本の高校受験できるレベルから、日本のおじいちゃん・おばあちゃんと少し話せればいい、日本語に少しでも触れさせたい、補習校に通ってくれるだけでいい、というレベルまでさまざまなのです。
このような背景から、一クラスの中の生徒ひとりひとりの日本語力の違いがとても大きいのです。
その結果として、生徒のボキャブラリーの差が大きくなり、先生の言っていることをほとんど理解できていない子がいると思えば、簡単すぎて退屈してしまう子もでてきてしまいます。
真ん中くらいの生徒に合わせようと思っても、生徒の数が少ないので、ばらけすぎて真ん中のレベルの人が存在しないこともあります。
存在しない中間にあわせても仕方ないので、その都度どこかに焦点をあわせ、全体的にみて全員がどこかで自分に合った楽しい時間が過ごせるような工夫も必要です。
- 先生の負担も大きい
ここに第二の問題が生まれます。
補習校の先生は日本人学校と違い、教員免許のある人が日本から派遣されるわけではありません。
私もそうでしたが先生の多くは、ドイツの大学の学生で、先生の経験もありません。
外国人としてドイツの大学を卒業するのは簡単なことではありません。
大学の単位をきちんととって、決められた期限までに試験にも受からないと、滞在ビザも延長できず、ドイツに滞在できません。
卒業試験も、2度落ちると卒業できずに、せっかくここまで頑張っても退学になってしまいます。
だから子ども達の大変な気持ちはよくわかります。
しかし、先生としての仕事もやりがいはありますし、子どものためにも補習校の大切さを理解しているので、限られた時間でできるだけのことをしています。
毎週の仕事として、作文やプリント宿題の添削、テストの丸つけ、授業準備、クラスのお便り、漢字テスト作成。
毎週旅行用の小さいスーツケースに宿題の山を詰めて歩くので、どの先生も電車の中でよく【どこに旅行に行くの?】と聞かれる~、と笑い話にしてました。
毎週の授業のほかに、父兄との面談、授業参観、運動会、読書月間、文集作成など行事の準備もあります。
そのような課題をこなしつつ、さらに個々の生徒に合わせて授業プランを考えるのは、先生にとってもかなり負担がかかることで、どうしても、どこかに限界があります。
思っていたより精神的にも肉体的にもつらく、時間も費やす仕事なので、続けられなくなってしまう先生もたくさんいます。
- 子どものモチベーション
子どもがモチベーションを保つのも大変です。
【たまたま親が日本人なだけで、ドイツに住んでいる自分がどうして日本語を勉強しないといけないのか。】
他のドイツ人と同じように、ドイツの学校に通っているだけではなぜいけないのか。
ドイツのクラスメートが遊んでいる土曜日に自分は学校に行かなくてはいけない。
土曜日にクラスメートのお誕生会に呼ばれても行かれないし、家では漢字を覚えたり本を読んだり日本語の宿題をしなくてはいけない。
ドイツの勉強だけでも大変なのに、どうして全然使わない日本語をこんなに苦労して勉強しないといけないのか。
楽しかったはずの日本語が、「しなければいけない」という義務に変わってしまいます。
子どもが悩んでいる間にも補習校の授業はどんどん進みます。
日本語学習のモチベーションが下がってしまうと、だんだん授業も楽しくなくなり、ついていくのが難しくなります。
- ドイツ校との両立が難しくなる
ドイツでは、小学校は4年で終わり、5年生になると、新しい学校に進みます。
そのため、4年生で次の進路を決めなくてはならず、その時期はドイツ校の勉強も大変になってきます。
ドイツの勉強だけでも大変なのに、この時期に日本語を学ぶモチベーションが下がっていると、ドイツの現地校と日本人補習校との両立が大変難しくなってきます。
その結果、5年生、頑張って6年生の小学校卒業をもって補習校をやめてしまう子も出てきます。
そして日本語の勉強もそこでやめてしまいます。
個人的には、ここでやめてしまうのは、大変もったいないなと思います。
小学校卒業で補習校と日本語学習をやめてしまうのが残念な理由
もちろん、中学生になると国語の教科書もかなり難しくなります。
語彙やテキストも小学生の教科書のように、具体的でわかりやすいものばかりではなく、感情を表したり、目に見えない抽象的な事柄を表すものが増えます。
もし小学生までの日本語で勉強をやめてしまうと、子どもっぽい単語や言い回ししかできず、大人になってしまい、日本語を年相応な”母国語”として呼べるには無理がある状態になるのです。
ですが、中学生まで学べば、”日本人母国語者”の大人として最低限必要なレベルまでは身につくでしょう。
日本語を母国語にできるかにおいて、この3年の差は非常に大きいです。
さらに、補習校では中学生になると、授業の自由度や、自分たち計画できることも増えます。
カリキュラムが厳しい小学生より、学校や日本語が楽しく感じられる環境になるのです。
そのため、せっかく始めた日本語と補習校を小学校でやめてしまうのは非常に【もったいないなー】と思います。
バイリンガルの三つの種類
ただ、私は全の子どもが”何があっても中学生まで日本語を学ぶべきだ”とは思っていません。
補習校で同じように勉強していても、やはり生徒によって個人差が出てきます。
本人の能力やモチベーションや努力、家庭の事情、などさまざまな要因がかさなって、バイリンガルと一口にいっても、全部が同じわけではありません。
実はバイリンガルには以下のような三つの種類があるのです。
- 均衡バイリンガル どちらの言語も母国語レベル
- 偏重バイリンガル どちらか片方が母国語で片方は母国語レベルに達していない
- セミリンガル どちらも母国語として不十分
【均衡バイリンガル】というのは、日本語とドイツ語のどちらも【読み書き・話す・聞く】が母国語レベルで差がないという状態です。
実際の感覚としては、差がない人はほとんどおらず、ドイツ語の方が強い場合がほとんどですが、日本語でも一定のレベルに達しているという人が多いです。
バイリンガルの理想形だと思います。
【編重バイリンガル】というのは、ドイツ語は母国語で、日本語は母国語レベルに到達していない状態に人たちのことをいいます。
たとえ日本語は母国語レベルには達していなくても、ある程度は身についているわけですし、日本語を学んだ意味は非常に大きいと思います。
日本語の発音やトーンを母国語として習得できるのは子どもだけです。
そしていつかもう一回勉強したくなったら、大人になってから改めて学ぶこともできます。
日本の文化や食生活も体験できて、視野も広がりますし、日本のおじいちゃん・おばあちゃんと話したり、日本語でできることがたくさんあります。
【セミリンガル】とは“ドイツ語も日本語も母国語といえない状態”のことです。
つまり、どちらの勉強も半端になってしまったために、ドイツ語も日本語も文法を正しく使えず、ボキャブラリーも少なく、話すのも読み書きも自由に操れないのです。
単語も文法もわからないので、思っていることを人に伝えるのも困難です。
これはとても大きな問題です。
幼少期から二か国語を勉強しておこる問題として、一番大きなものだと思います。
何が問題なのかというと、このまま大きくなって思春期に入り、【抽象的な事柄を考える年ごろになったとき】大変困るのです。
思考は言語で表現し、言語が思考の範囲を決める
思春期になると精神的に発達し、頭の中で、目に見えることだけではなく、目に見えない抽象的なことも考えだします。
その時に、自分の母国語が存在してないと、思っていることを表現することができないばかりか、”思考”そのものも深く掘り下げることはできません。
言語を知らないと心のなかで混沌とした”思い”を表現することができないのです。
つまり:
精神は発達するのに、言語がそれについていかない
このような状態に陥ってしまいます。
子どもは精神的に不安定になり、言いたいことを言えないので常にいらいらした状態になります。
この状態が思考する能力のある人間にとって、信じられないストレスになるのはわかっていただけると思います。
【言語】こそ、人間と他の動物と分ける大きな特徴であるにもかかわらず、その手段を封じられた状態なのですから。
すごく恐ろしいと思うし、あるべきではない状態だと思います。
母国語が存在しないことによって、考えたことを表せないだけでなく、逆に、思考力そのものが大人のレベルに発達しないまま成長してしまう可能性もあります。
もし、このような状態に陥る危険性がある子がいたら、その場合は、日本語の勉強はきっぱりやめて、その時間と労力をドイツ語を完ぺきに母国語にするために使うべきです。
そちらの方が中途半端に二つの言語を知っているより、100倍大切です。
一つを母国語を会得したあとで、日本語の勉強をしたいと思ったら改めて始めればいいのです。
言葉がアイデンティティを作る
言葉というのは、自分のアイデンティティを作ります。
ドイツ語ができるから、自分はドイツ人だ、日本語ができるから自分は日本人だ、と思えます。
例え両親が日本人で自分の外見が日本人でも、ドイツで生まれ育ちドイツ語だけで育ったら、その子のアイデンティティはドイツ人でしょう。
二つ母国語を持つ子供たちは、そういう意味では二つのアイデンティティを持つ可能性があり、自分の中で折り合いをつけるのが難しくなるかもしれません。
しかし、本人の努力で二つの言語を母国語として習得できた子どもたちですから、そのような葛藤があったとしても上手に対処できると思うのです。
一番大切なのは、最低一つは母国語を持ち、自分の自己確立の根本、つまりアイデンティティを持つことです。
【ドイツ育ちの子供の日本語学習】まとめ
バイリンガルについては、大切なのはこれだけ。
あとは自由でいいと思う。
一つは母国語を作れ!
万が一それが難しい状態だと感じたら、もう一つの言語は母国語が確立するまで思い切ってやめる!
自分に合ったペースでやる!
せっかく日本とドイツの二つの違う言語や文化を知るチャンスがあるんだから、ぜひ挑戦してほしいなー。
自分の未来のチャンスがダブルに広がるよ!